船橋散策Ⅱ 船橋港から海老川十三橋めぐり


船橋を散策してきました。「文豪ゆかりの地&文化財めぐり」と「船橋港から海老川十三橋めぐり」。都心から近いけど行ったことのない街巡り。文豪ゆかりの地や由緒ある神社仏閣や文化財、船橋港とそれぞれ特徴的なレリーフが設置された橋など充実した1日でした!!  -2024.06.07-

船橋港(船橋市湊町)


海老川に沿って下り京葉道路をくぐった先は「船橋漁港」。船橋の漁場は、江戸時代に御菜浦(おさいのうら)として、徳川家に魚や貝を献上するほどの豊かな海であった。現在では、東京湾に残された貴重な干潟「三番瀬(さんばんぜ)」で、海苔養殖やアサリ・ホンビノスガイなどの貝類を採っている。また、まき網や底引き網では東京湾の内湾でスズキやコノシロ等の魚類も。船橋で水揚げされた海苔やアサリ・魚は"江戸前"として市場でも人気を集めている。

「船橋橋」

船溜まり

「湊橋」

海老川水門の上は自転車と歩行者用通路

海老川水門(船橋市浜町)


高潮や津波による自然災害から背後地を守る目的で昭和41年に設置された。潮位に合わせて水門の開閉や大型ポンプ2基を使って内側の河川水を水門外に排出するなど、24時間態勢で河口の水位を管理している。水門西側には「湊橋」が併設され、浜町と湊町とを結ぶ生活道路の役割を担っている。

上記写真:東京新聞Webより転載

水門下

「船橋橋」に戻り「海老川十三橋めぐり」(14ある?)出発!!

海老川十三橋めぐり


「海老川十三橋めぐり」

御滝山金蔵寺内の湧水を源流に船橋の中心市街地を悠々と流れる海老川。その昔、船橋の地に訪れた源頼朝にこの川で取れた海老を献上したことが名称の由来と言われている。海老川にかかる13の橋の欄干には、それぞれ船橋の特徴をイメージしたレリーフが設置され、往来する人の心を和ませてくれる。散策路やジョギングロードが整備され、四季折々の自然を満喫しながらゆっくり歩くことができるコース。~船橋市HPより抜粋転載~


上記:船橋市HPより転載

「船橋橋」

(イメージ“海へのロマン”)

国道14号線にかかる橋。「海老川13橋めぐり」の中で最も河口側にある橋。「海へのロマン」をイメージした、愛らしい親子カッパの像がある。

「八千代橋」

(イメージ“漁業・豊漁”)

魚と波の像、昔の漁の風景を刻んだレリーフが設置されている。

「海老川橋」

(イメージ“歴史・商業”)

別名「長寿の橋」。船首が橋から突き出ているようなオブジェや、故・泉重千代さんの手形もある。「船橋地名発祥の地」の銘も刻まれている。


由来

古い伝説によれば 、船橋という地名の起こりは 、この海老川の渡しに由来する。古代の英雄が東征の途次、此地の海老川を渡ることが出来なかったとき地元民が小舟を並べて橋の代わりとし、無事向こう岸に送り届けたという。 海老川は、長く住民に親しまれてきた。春堤に風吹けば花蝶遊び、秋淵に水澄めば魚鱗躍るといった時代を経、近年の都市化の中で浸水被害が繰り返され、流域住民にとって〝恨みの川〟となったが、今、市政五十周年の記念すべき年に当たり国県の御協力を得、市の総力を結集し河川及び橋梁を改修 〝希望の川〟として蘇ることとなった。船橋市長  大橋和夫 撰文 ~下記案内板より抜粋転載~

船の舳先のオブジェ


海老川橋の欄干についている鈴。

揺れると実際に音が鳴るそうです♬

「万代橋」

(イメージ“人”)

海と生物の姿を刻んだレリーフが設置されている。

上記写真:船橋市HPより転載

「栄橋」

(イメージ“音楽”)

「手のひらを太陽に」の歌碑とブロンズ像が設置され、

欄干には音符が並んでいる。


「丸山橋」

(イメージ“ボランティア精神”)

さざんか募金運動のマスコットキャラクター「さざんかさっちゃん」の像があり、その向かいには「ボランティアの船」のオブジェが設置されている。「ボランティアの船」には日本漫画家協会の協賛により、手塚治虫さんをはじめ、多数の著名な漫画家がデザインしたカッパたちが乗り込んでいる。

「さざんかさっちゃんと福太郎」

「ボランティアの船」


「九重橋」

(イメージ“文芸”)

船橋に滞在し、作品を執筆していたことがある文豪"太宰治"。旧宅はこの橋のすぐ近くにあった。太宰の肖像と、代表作「走れメロス」の一節を刻んだレリーフが設置されている。

太宰治の肖像・年譜、

「走れメロス」の一節のレリーフ

「斜陽」のレリーフ

他にも「もの思ふ葦」、「津軽」、「人間失格」、

「地球図」、「富嶽百景」のレリーフがある

「新海老川橋」

(イメージ“祭り”)

かわいらしい子どもの音楽隊や、船橋の郷土芸能「ばか面おどり」を踊る人たちの像が欄干に並んでいる。


「人道橋」(じんどうきょう)

「太郎橋」

(イメージ“日本の童話”)

桃太郎、金太郎、浦島太郎、ものぐさ太郎。日本の童話を代表するキャラクターが欄干に勢揃い。


「ほていあおいの命像」

<海老川造形道標十福像>

水生植物が繁茂し海老川・長津川の自浄作用を願う

「船橋市場」(船橋地方卸売市場)

「手長海老寿老人像」

<海老川・長津川十四福像>

かつて数多く生息した手長海老や甲殻類の回復を願う。

「富士見橋」

(イメージ“芸術”)

四季を表す女性の像が欄干の四隅に設置されている。


「さくら橋」

「さくら橋」の名称は市民公募で決まった

さくら橋周辺の川沿いには桜並木が続いている

「どじょう恵比寿像」

<海老川・長津川十四福像>

たくさん穫れたどじょうやうなぎなどの生態系回復を願う。

「鷹匠橋」

(イメージ“歴史・自然”)

海老川13橋の中で唯一、木製の橋。

「鷹匠橋」(たかじょうばし)

昭和30年頃まで海老川に丸木橋がかかっていたが、この橋には江戸時代の将軍家にまつわる言い伝えが残っていた。徳川家康、秀忠、家光の時代に将軍家はしばしば東金や小金原で鷹狩りを催し、その際船橋で宿泊したことなどはよく知られているが、時には当時「お鳥場」の中心であったといわれる船橋宿裏の夏見、米ヶ埼前面の水田やその背後の原野にまで足を伸ばしたといわれている。そんなある日、将軍は丸木橋の上に立ち、鷹匠の放す鷹の行方を追いかけながら、鷹狩りの様子をご覧になったとのことです。それ以来、この橋は土地の人から「鷹匠橋」と呼ばれ親しまれてきたということです。今では、土地改良、河川改修などにより当時の面影は残っていないが、"歴史的な橋の復活"の声が高まる中、県の協力を得てここに新しい「鷹匠橋」として蘇ることになった。 船橋市 ~下記案内板より抜粋転載~

「しじみ弁天像」

<海老川造形道標十福像>

かつてたくさん生息したしじみなどの貝類の回復を願う。


「有森裕子選手の栄光をたたえるモニュメント」

有森選手は、この海老川ジョギングロードで、市立船橋高校陸上部を駅伝日本一に導いた小出義雄監督のもと、四季折々の風を受けながら毎日の練習を重ね、栄冠を勝ち取った。スポーツ健康都市・船橋にとって、大きな喜びであるこの快挙を市民と共に祝し、ここに記念の碑をしるす。~モニュメント記載から転載~

「八栄橋」

(イメージ“スポーツ”)

「スポーツ健康都市」である船橋市。そのシンボルである「汗一平(あせいっぺい)」の像が設置されている。

「向田橋」

(イメージ“農業・豊作”)

海老川13橋めぐりの終点。船橋駅周辺の喧騒から離れ、のどかな風景が広がる。設置されているのは、仲よく餌をついばむ2羽のキジの像。

上記写真:船橋市HPより転載

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